出典: BSAC年鑑事典『The Club』、その他資料より
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The Club / A celebration of the history of the British Sub-Aqua Club 1953-2003
/ Reg Vallintine 著 £25.95 |
ジャック・イヴ・クストー
Jacques-Yves Cousteteau |

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1911年 |
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1997年(享年87歳) |
ジャック・イヴ・クストー(英語:Jacques-Yves Cousteteau,1953年 - 2003年)
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プロフィール
1930年に海軍のパイロットを目指してフランス海軍に参加したが、1935年に起きた交通事故によるケガで、ツーロン港駐在の砲術将校(gunnery officer)になった。ケガした腕を強化するために始めた水泳をきっかけに、Philippe Taillez氏と、やすで魚を捕る達人のFrederic Dumas氏と出会った。その後、ジャックはFrederic氏の紹介で海底の世界を知った。
裸の素潜り(breath-hold diving)は物足りないと感じ、ジャックはエンジニアであるエミール・ガニャン氏と一緒に危険な酸素再呼吸法(oxygen re-breathing)の実験を繰り返しした結果、空気呼吸器(air breathing apparatus)?『アクアラング』(Aqualung)を発明した。圧縮空気を利用した便利な水中作業用具アクアラングは、海洋開発、レジャーに新生面を開いた。その後、ジャックは人生初の海中映画『18 Meters Deep』(Dix Huit metres de Fond and Epaves)を撮影した。ジャックの成功はフランス海軍まで認められ、戦後にも港や鉱山に自由に出入りすることができた。
一方、イギリス海軍はジャックの装置を研究し、自給式水中呼吸装置『SCUBA』(self-contained underwater breathing apparatus)として命名したが、採用まではしなかった。しかし、1950年にジャックは探険と撮影が続けられるよう英国海軍から退役した掃海艇(minesweeper)?『Calypso』号を授与された。
また、1953年に出版した『沈黙の世界』(La monde du silence)を56年に映画化し、これは海中・海底の芸術性高い記録映画として評価され、カンヌ映画祭でグランプリ、アメリカのアカデミー最優秀長編記録映画賞を受賞した。ジャックはその後間もなくBSAC 2番目の終身名誉会員となった。更に、1964年にリリースした『太陽のとどかぬ世界』(Espace sans lumiere)もアカデミー賞などを受賞した。その後、ジャックはテレビの連絡科学番組にも進出し、自身も出演した『クストーの海底世界』(The Undersea World of Jacques Cousteau)シリーズで世界中に知られた。
1973年にジャックはアメリカで、海洋探査、研究及び保護の目的で資金を集める組織?「クストー協会」(Consteau Society)を設立した。1979年に墜落事故で息子のPhilippeを無くした後、もう一人の息子、Jean-Michelは第一線で協会の仕事を背負いながら、AmazonとMississippiのプロジェクトを指導した。
一方、ジャックはボランティアとして回転シリンダーによる風力で動かす船『アルキュオネー号』(the Alcyone)の設計に力を入れたが、残念ながら成功までもう一歩のところで終わった。
ジャックは1957年に、海軍大佐で海軍を退役し、モナコ海洋博物館所長、フランス海洋開発センター所長を務めた。1992年の地球サミットで環境破壊・海洋汚染を警告し、母国フランスの核実験再会を激しく批判した。
赤いニット帽子がトレーとマークであるジャックは『海の恋人』とも呼ばれていた。レジャー・ダイビング業界を作り上げた彼は自らの行動で、海中世界に対する人々の理解と関心を高める重要な役割を果たした。世界で最も有名なダイバーとして知られたジャックは、ダイバーである私たちにとって永遠に尊敬する英雄なのである。
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